源実朝公御首塚
鎌倉幕府3代将軍の源実朝は1219年甥の公暁(くぎょう)により暗殺された。すぐに公暁は三浦氏の家来により討ち取られ、持っていた実朝公の御首は、その家来により秦野のこの地に密かに運ばれ、埋葬されたといわれている。塚の近くには歌人として有名だった実朝の歌碑があり、毎年11月23日には地元の人により「実朝まつり」がひらかれ、近くの金剛寺により法要が行われている。
鎌倉幕府3代将軍の源実朝は1219年甥の公暁(くぎょう)により暗殺された。すぐに公暁は三浦氏の家来により討ち取られ、持っていた実朝公の御首は、その家来により秦野のこの地に密かに運ばれ、埋葬されたといわれている。塚の近くには歌人として有名だった実朝の歌碑があり、毎年11月23日には地元の人により「実朝まつり」がひらかれ、近くの金剛寺により法要が行われている。